日本文化
第五章 室町時代の文化
第一節 学問・思想と宗教
室町時代の学問の中心になったのは禅僧や公家で、中心的な機関は「五山」である。「五山」とは五つの臨済宗の大きな寺のことで、幕府が定めた最上位の寺である。また、政治の面では力を失った公家(貴族)は、有職故実(伝統の官職や儀式の研究)、和歌や古典の研究を行い、古典文化を守ろうとした。
一方、応仁の乱(1467-77)で京の都が荒廃したため、公家や禅僧が地方に逃げ、彼らの文化が地方に普及した。その代表的な人物は、石見国(現在の島根県)に逃れ、後に薩摩国(現在の鹿児島)に招かれた桂庵玄樹(1427-1508)である。桂庵玄樹は、薩摩国の桂樹庵で儒学を教え、朱子学の一派である薩南学派を開いた。
室町時代は、武家の文化が力を持った時代だが、武家文化と仏教の融合も一つの特徴である。宗教で重要なものには、禅宗がある。禅宗は、中国から伝えられ、武家の間で人気を博した。五山にも定められ、武家からの保護を受けるなど、禅の精神は室町文化全体に大きく影響した。
仏教は、地域や身分によって流行する宗派に違いが見られた。例えば曹洞宗は、庶民の間や地方で盛んになり、日蓮宗は京都の商業人の間に広まった。また、浄土真宗の蓮如(1415-99)は、本願寺教団を再興し、一大勢力へと発展させていく。これは一向宗とも呼ばれる。一向宗の信徒は、その信仰心を元に団結し、守護大名を圧迫するまでになっていった。この時代、庶民が力を付け、集団で大名に政治的な要求を突きつける行動が見られるようになる。これを「土一揆」という
学習ポイント
1. 室町時代の学問・思想と宗教
2. 北山文化と東山文化
3. 村田珠光と「わび茶」
4. 雪舟と狩野派の水墨画
5. 能・狂言と御伽草子
が、一向宗の信徒が行った一揆は「一向一揆」と呼ばれた。この一向一揆の中では「加賀一向一揆」(1474-75)が特に有名である。
(一)五山文学
鎌倉時代末期から室町時代にかけて禅宗の寺で行われた漢学が「五山文学」で、これがまさに五山文化の中心的な位置を占めていた。五山文学は、中国大陸から日本に渡ってきた僧や日本の留学僧が日本にもたらした知識が元になっている。漢文で書かれた。五山や京都五山では、幕府の外交文書を起草したため、漢詩を作る才能が重視された。そういう事情もあって、五山文学が盛んになっていった。代表的な作品は義堂周信(1325-88)の『空華集』、絶海中津(1336-1405)の『蕉堅藁』などが挙げられる。
五山版 五山文学が盛んになるのに伴って、五山を中心に書籍も多く出版された。特にこの出版活動が盛んだったのが、京都の天龍寺の雲居庵や臨川寺で、活動に熱心だった人物としては春屋妙葩(1311-88)などがよく知られている。これらの出版物は木版印刷で作成され、貴重な資料としての価値も大変高い。「五山版」は、印刷の変遷を知る歴史的な資料としての価値も大変高い。
(二)儒学の各派と足利学校
桂庵玄樹と薩南学派 桂庵玄樹は臨済宗の僧で、明の時代の中国大陸に7年ほど滞在していた。中国で朱子学を学び、日本に戻ると朱子学の啓蒙に努めた。また、自分が明に留学していたことから、遣明船派
遣にも熱心に取り組んだ。1478(文明10)年には、島津家第十一代当主の島津忠昌(1463-1508)に招かれ、薩摩の市来の竜雲寺に移った。
島津忠昌が桂庵玄樹を呼び寄せたのは、日向国(現在の宮崎県)の安国寺を再興し、この寺を任せるためだった。安国寺は日明貿易の拠点である。島津忠昌は飫肥という地域を重視し、日明貿易で飫肥は大いに栄えた。そして、この地に、宋学や禅文化が流入し、当時、日本で最高の国際文化都市となったのである。
その学問の最先端を担ったのが、「薩南学派」である。桂庵玄樹をはじめとする「薩南学派」が唱導した朱子学は、日本封建社会の基本思想の一つとなっていった。また、桂庵玄樹の弟子である儒者たちも活躍した。その中の一人である南浦文之(1555-1620)は、関ヶ原の戦いの前に、徳川家との交渉に関わったり、中国の明や琉球との外交文書を作成したりしていたという。
南村梅軒と海南学派 「海南学派」とは、土佐(現在の高知県)の朱子学の一派で、「土佐南学」または「南学」とも呼ばれる。室町時代末期に儒者である南村梅軒(生没年未詳、伝説的要素が濃い)が土佐で朱子学を講じたことに始まる。その後、南村梅軒の教えは、吸江庵の忍性や雪渓寺の天質、宗安寺の如淵などの禅僧に受け継がれた。更に天質に学んだ谷時中(1598-1655)によって、江戸時代初期に民間に伝えられた。
谷時中の門人では、野中兼山(1615-64)、小倉三省(1604-54)、山崎闇斎(1619-82)が著名である。闇斎の没後も、その弟子の浅見絅斎(1652-1712)や谷秦山(1663-1718)が南学を発展させた。南学は、朱子学の解釈だけではなく、義理名分や実践を重視しており、土佐藩学の中心となった。坂本龍馬(1836-67)、中岡慎太郎(1838-67)など土佐勤王党の志士の多くがこの学問の流れを汲んでいる。
足利学校 足利学校は鎌倉時代の下野国足利庄(現在の栃木県足利市)に創設された教育機関である。室町時代から戦国時代にかけては関東地方の最高学府だった。室町時代には一時衰退したが、1432(永
享4)年、足利の領主になった上杉憲実が再興に尽力した。上杉は、鎌倉円覚寺の臨済僧快元(?-1469)を校長に招いたり、蔵書を寄贈したりした。この努力が実り、北は奥羽(現東北地方の中央部)、南は琉球から学生が集まり、大いに学問の機運が盛り上がった。
足利学校は儒学を中心としたが、易学も盛んであった。他に兵学や医学も教えた。戦国時代には、易学などの学問を身に付け、戦国武将に仕える足利学校出身の儒者もいた。学校の学費は無料で、学生は入学と同時に僧侶になった。寮はなく、近くの民家に身を寄せ、学校の中で自分たちで食事や薬草を作った。
足利学校は1872(明治5)年に廃校になったが、1990年に建物や庭園が復元されており、当時の姿を偲ぶことができる。
第二節 北山文化と東山文化
室町時代の文化は、三代将軍足利義満(1358-1408)の時代の北山文化と、八代将軍足利義政(1436-90)の時代の東山文化に分けることができる。北山文化は、南北朝時代の活力を背景にしており、公家文化と武家文化、中国文化の影響がある。一方、東山文化は庶民的で、「わび・さび」と禅宗の影響が強い。
(一)建築から見た北山文化と東山文化の特色
北山文化 最も代表的な建築物は金閣寺である。金閣寺の正式名称は、鹿苑寺金閣で、これは足利義満が北山(現在の京都市北山区)に建てたものである。建物の特徴としては、寝殿造と禅宗仏殿を融合させた点を挙げることができる。1994(平成6)年には、文化財として世界遺産に登録された。
金閣寺の最も有名な建物は、金色に輝く「舎利殿」である。これは三層宝形造の建物で、内外ともに漆地で、金箔が貼られている(二・三層のみ)。初層は「法水院」という名称で寝殿造、二層は「潮音洞」と称し書院造風で、岩屋観音坐像と四天王像が置かれている。三層は「究竟頂」と称し、禅宗様仏殿風で、仏舎利がある。1950(昭和25)年に放火により焼失したが、1955年に再建され、今に至っている。
東山文化 この文化の中心は、東山(現在の京都市左京区)に立てられた東山殿という山荘である。これは、八代将軍足利義政が建造したもので、義政の死後、その遺言によって禅寺となり、「銀閣寺」と称されるようになった。
銀閣寺(正式名称は慈照寺銀閣)は、まさに東山文化の代表的な建築で、禅宗仏殿に書院造が合わさっている。一層は住宅風の書院造、二層は禅宗様(唐様)の仏殿である。また、慈照寺の中には「東求堂」という四畳半の座敷がある。この部屋は義政の書斎であったが、初期の書院造であり、茶室の起源、和風建築の原型と言われている。現代の日本でも和室と言えば、畳、障子、襖、床の間などから構成されるが、これは東山文化の中で形成されたものである。庭も、枯山水と呼ばれる様式が定着し、自然の山や谷を石や白砂で象徴的に表現するようになった。
(二)村田珠光と「わび茶」
茶道の祖と呼ばれるのは、村田珠光(1422-1502)である。村田珠光は、30歳頃に禅僧となった人物で、能阿弥(1397-1471)を介して会所(当時のサロン)での喫茶文化や能、連歌の影響を受け、また、臨済宗大徳寺派の一休宗純(1394-1481)から禅を学んだ。そして、能や連歌の精神、禅の心を追究し、「わび茶」の精神を確立していった。さらに能阿弥を通じて足利義政と知り合い、政治にも参加した。
村田珠光が作り出した茶室は、四畳半で、書院造風である。会所で
は主に飾りだった台を、客の前に移動させ、茶を点てた。
室町時代、将軍家では唐物を賞玩しており、茶席では華麗な天目や龍泉窯の青磁茶碗が尊ばれた。しかし、村田珠光は、禅の精神から「わび茶」を主張し、中国南方で日用品として大量生産された黄褐色の退色青磁碗を茶道具に使った。この茶碗は「珠光青磁茶碗」と呼ばれる。珠光は、安く量産されるこうした茶碗だからこそ「無心」がうまれ、そこに味わいがあると考えたのである。村田珠光のこうした主張は継承され、戦国時代には、千利休(1522-91)によって「茶道」が確立されることとなる。
(三)雪舟と狩野派の水墨画
雪舟 応仁の乱(1467)の中、京都の知識人たちは地方に逃れる者もいれば、海外に目を向ける者もいた。画家の雪舟(1420-1506)は、この乱をきっかけに明に目を向けた者の一人である。雪舟は、遣明使に随行して、明に渡り、水墨画を学んだ。そして、日本に帰国した後、日本の水墨画に大きな衝撃を与え、「画聖」と讃えられるようになる。
雪舟は明の水墨画に学んだが、その作品は、中国風の山水画だけではなく、人物画や花鳥画もえがき残っている。大胆な構図、力強いタッチなど、その個性的な画風への評価は高い。特に有名な作品は『天橋立図』、『秋冬山水図』などがある。六点もの作品が国宝に指定されるなど、多くの日本の画家の中でもその評価は高い。
狩野派 中国から日本に水墨画が伝えられたのは鎌倉時代である。室町時代に入ると、次第に和風になっていく。中でも、水墨画にうまく和風の技法を融合させるのが狩野派である。室町幕府の御用絵師となった狩野正信(1434-1530)が、その子孫も代々、将軍の絵師として仕えた。日本史上最大の画派である。円山応挙(1733-95)や喜多川歌麿(1753-1806)も狩野派出身である。
(四)能・狂言と御伽草子
能 能の起源は、奈良時代に中国から伝来した散楽である。散楽は当初、国によって保護されていたが、8世紀頃にこの保護がなくなる。ここから散楽をしていた集団が民間でも演じるようになり、猿楽へと発展していく。猿楽は物真似や滑稽要素をさらに強調したもので、鎌倉時代に入ると、この猿楽からさらに田楽、白拍子、曲舞などの芸能が分化した。これらいずれも歌舞の要素が強く、さらにこの時期中国から女性の歌舞が流入し、融合する。これらの芸能をさらに「能」という芸術にまで高めたのが、観阿弥(1333-84)とその息子世阿弥(1363-1443)である。観阿弥は、これらの芸能を芸術に高めるためには、庶民性の他に貴族性が必要だと考え、より洗練させていった。
息子の世阿弥は、父の影響を受け、また僧侶を中心とした知識階級から高い教育を受けた。そして、その芸の才能と美しさによって、将軍足利義満に寵愛された。世阿弥は猿楽の物真似の部分を消して、独自の幽玄世界の確立を目指した。そして、1399(応永6)年、義満の援助を得て勧進能を催し、新しい芸風を披露した。また、芸術論にも熱心で『風姿花伝』(1400)など多くの能楽書を記している。幽玄美を好む当時の支配階級の嗜好に合わせた彼の「夢幻能」は、多くの観客を魅了した。
狂言 狂言は、猿楽から分化した喜劇である。能は、面を使った歌劇だが、狂言は、面を使わず動作とセリフによる演劇である。そして、能が幽玄や形式美を追求したのに対して、狂言は猿楽の物真似や滑稽な部分を発展させた。セリフも写実的なものが多いのが特徴である。
室町時代の後期には、大和猿楽系の本流を伝える大藏流が成立した。この流派は現在も残っており、3人の人間国宝を生み出している。
御伽草子 御伽草子は、室町時代に現れた短い絵入りの物語のことで、広義には室町時代を中心とした中世の小説全体を指すこともある(名称の成立は江戸時代)。
御伽草子の多くは挿絵が入っていて、物語だけでなく絵を楽しむ性格が強かった。文章はやさしく、ストーリーも素朴で単純である。この時代、庶民も御伽草子によって、読書を楽しんでいたのである。また、その単純な文章の裏には、当時の世相に対する風刺や寓意が見られる。ここから当時の民間信仰を知ることもできるだろう。御伽草子の話のほとんどは作者に定説がない。その多くは日本の伝統の物語文学や民間伝承をもとにしていると言われる。
(文責:徐興慶)
【確認してみよう】
一、次の文章を読み、正しいものを下記から一つ選びなさい。
1. 北山文化は室町幕府の三代将軍(a. 尊氏 b. 義満 c. 義政)の時代に栄えた文化である。
2. 能や連歌の精神的な背景と茶禅一味の精神を追求し、「わび茶」の精神を確立した(a. 一休宗純 b. 村田珠光 c. 千利休)は、茶道の祖と言われる。
3. (a. 雪舟 b. 円山応挙 c. 喜多川歌麿)は、十五世紀後半に活躍した水墨画家・禅僧で、遣明使に随行して中国へ赴いた。帰国した後、日本の水墨画を一変させ、画聖とも称えられる。
4. 五山とは(a. 曹洞宗 b. 臨済宗 c. 真言宗)の寺院のうち、幕府から最上位と認められた大寺院である。
5. (a. 連歌 b. 和歌 c. 御伽草子)は、室町時代に成立し、後の江戸時代に名称が定着した短編の絵入り物語である。
二、次の文章を読み、空欄に適切な言葉を入れなさい。
6. 鹿苑寺を特徴づけている金色に輝く建物は、( )である。
7. 八代将軍足利義政が建造した( )は東山文化を代表する建築である。
8. ( )は、猿楽の物真似などの要素に発する写実的な滑稽劇である。
9. 雪舟は中国風の山水画だけでなく、人物画や( )も多数描いている。その大胆な構図や力強いタッチは評価が高い。
10. 父の芸道を継承・発展した世阿弥は( )など、能楽書も著した。
三、次の文章を読み、設問に答えなさい。
11. 北山文化の特色について述べなさい。
12. 東山文化の特色について述べなさい。
13. 村田珠光と「わび茶」の発展について述べなさい。
14. 「能」と「狂言」の発展について述べなさい。
15. 御伽草子とは何か、説明しなさい。
参考文献
大高坂芝山『南学伝』、関儀一郎編、『日本儒林叢書』第3巻所収、鳳出版、1971年復刻
奈良本辰也、川崎庸之編『日本文化史 文化の展開と継承』、有斐閣、1977年
岡田昌幸監修『よくわかる国宝 国宝でたどる日本文化史』、JTBパブリッシング、2009年
阿部猛・西垣晴次編『日本文化史ハンドブック』、東京堂出版、2002年
山口県立美術館雪舟研究会編『雪舟等楊「雪舟への旅」展研究図録』、山口県立美術館・中央公論美術出版、2006年